【いわき市平の歴史】新川緑地は、旧磐城平城下町の外れを流れていた川

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ということで今回は、磐城平城に関する内容です。

江戸時代の街並みと現代の街並みは当然に異なりますが、福島県いわき市平地区にある現代の新川と、江戸時代の新川の位置は異なっていたのは知っていますか??

知ったところで日常生活に必要な知識になるわけではないのですが、江戸時代にいわき市平地区は城下町として200年以上の歴史があることを知ると、街を歩くキッカケになるんじゃないかと思って書いております。

*磐城平城大手門跡

旧磐城平城 新川の歴史

*磐城平城下之図:出典:いわき市他、いわき駅北口に掲示

幕末から現在まで約150年、一方で江戸時代は約260年も続いています。

それだけ歴史があったにも関わらず、今では痕跡はほぼ残っていません・・・。

面白いもので、昭和の時代に造られた魅力的はでない建築物は多く残っているのに、江戸時代につくられ美しさを有していたであろう城下町の痕跡はほぼ残っていないのです。

批判しても仕方ないけど、寂しいですよね。

・・・残っていれば地域のシンボルになったと思います。(旧平藩領の方々以外にとってはどうでもいいと思う人はいるでしょうけど。目的地が中心市街地にあるのは移動需要が増加するので街中消費を促すためにも良いこと)

いわき市で唯一の規模の大きい城下町(泉と湯長谷は規模の小さな城下町)だったわけですが、その美しさを後世に残していくことも必要だと思います。あと100年以上も経過すれば城の存在すれば忘れ去られそうな気がします。

ということで、いわき市平に「長橋町」という地名があるのですが、江戸時代はその名のとおり長橋があったのです。戊辰戦争では長橋町が舞台となり旧幕府軍と西軍とで戦いが行われた場所でもあります。

この長橋が架けられていたのが新川です。それも現在の新川とは異なり、現在の新川緑地が江戸時代の新川(江戸時代には外堀の役割)となっていました。

*磐城平城下:1789年(個人所蔵)*出典:磐城平城本丸跡地に掲示

この緑地公園が江戸時代の外堀であったことを示すものは、現代にはほぼ何も残ってはいないのですがこの場所が城下町の境界付近であったことをイメージすると、ちょっと散歩してみたくなりませんか?

都市計画法は制定されてから100年経過しましたが、それよりも歴史がある都市計画(城下町)で得られる知識って結構あったりするんですよね。

当然、軍事施設であったわけですが、象徴としての美しさも兼ね備えていたと思いますし、当時は全て人力で何十年もかけて街をつくったわけですから、きっと住民は愛着を持っていたと思います。

これからお城が再整備されるかは不明瞭なところがありますが、街中に少しでも片鱗を残していくと、時より約260年続いた歴史を感じることができると思います。

ということで以上です。それではまた〜〜〜♪