この記事では、いわき市平地区にある戦国大名岩城氏の菩提寺であった「龍門寺」の山門(楼門)を紹介します。いわき市内でも珍しい茅葺の山門ですので見学価値ありです。
*山門:いわき市指定文化財(昭和60年3月29日)
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龍門寺の山門とは?

山門の手前にある石碑(禅勝山 龍門寺の歴史)に書かれている内容によると、
龍門寺は岩城の国主岩城家の菩提寺で、初代朝公氏が施主で建造に着手して間もなく亡くなり、二代目常朝公が石を継ぎましたが工事半ばで死亡、三代目清胤公が完成させて応永17年頃(1,409年)に青岑鷹禅師を開山主に迎え開創されたといわれている。
平成15年10月19日
享保元年(1,741年)に本堂が焼けて第29世固山和尚の時、二度目の火災で七堂伽藍が焼け、同和尚が10年かけて復興しています。桜門(山門)は安永四年(1,775年)9月に再建されました。
慶長七年(1,602年)岩城貞隆の時、徳川方に領地を没収されて龍門寺も衰退しますが、その後徳川幕府から御朱印70石の寺領を受けました。
元和年間(1,615〜1,623年)に岩城義隆は出羽国亀田(秋田県)にお国替えになり、岩城の龍門寺から住職を招いて、亀田の龍門寺を開いて新しい菩提寺になりました。
明治維新の廃仏毀釈により後は傷みましたが、昭和21年に第50世の博昭和尚が曹洞宗管長の拝命により龍門寺に招かれて復興しています。そして、第五十一世明法和尚代の昭和59年に檀信徒のご協力により庫裏、慈光殿(檀信徒会館)、水屋をつくり伽藍を整備致しました。平成九年には山門葺替えを行いました。
一、本堂左手の奥に岩城公9代の墓所があります。・・・(略)

江戸時代前までいわき市の領地をおさめていた「岩城氏」の菩提寺(領主のお墓)だそうです。
楼門(山門)の建築時代は、江戸時代中期であり、戦国大名の岩城氏の手によるものではありませんが、お寺自体は岩城氏がいわきの領主であった時代を知ることができるため歴史的にも貴重な場所かと思います。

岩城氏については、水戸の佐竹氏と同郷に関ヶ原の戦いでに参戦せず愛甘いな態度であったことから、その仕置きとしていわきを追われることとなり、最終的には現在の秋田県由利本荘市(旧亀田町)の国替えとなってしまいます。
国替えの際、岩城の龍門寺の和尚を秋田に招いて龍門寺を再建しており亀田藩主(岩城氏)の菩提寺となっています。実際、由利本荘市の龍門寺は市の「史跡」に指定されており、岩城氏ゆかりの土地となっています。
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いわき一体を支配した岩城氏(白土系岩城氏)は白土氏を名乗っていたそうで、白土に近いこのエリア(小高い山)に目をつけて菩提寺を建設したのも理解できる気がします(間違いっていたらすみません。)
建築様式は禅宗と和洋の折衷方式で、ときょう(柱と梁の組物)は和洋、その他の屋根の破風や高欄(2階部分)などは唐様となっている江戸時代の寺社建築は全国的にも珍しいのかなと思います。最も特徴的なのは楼門で茅葺であることですかね。いわき市内ではここのみではないでしょうか。

楼門といえば、平地区の飯野八幡宮の楼門が重要文化財として有名ですか、ここの楼門は茅葺屋根の大きさと太い柱(直径30㎝程度)・梁とのバランス(見た目)は、建築的にも魅力的だと思います。
- 建築年:1775年
- 延べ面積:58.7㎡(1階32.3,2階26.4)
- 高さ:11.26m
- 構造:木造(屋根:入母屋)
アクセス等

いわき駅からは少し離れているため行きづらいですが、車であれば問題なく見学することができますので、いわき市観光やいわきの歴史を知りたい方は是非みて欲しい施設です。建築的にも美しいと思います。
ということで以上となります。参考となりましたら幸いです。