【福島県新地町】福島県浜通りの最北端の町(新地町)を都市計画の視点から将来を考えてみた。

この記事では、福島県浜通りの最北端の町「新地町」をまちづくりの視点からクローズアップしています。

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新地町とは?

*新地駅

福島県浜通りの最北端の新地町と最南端のいわき市との距離は約110kmほど離れています。

茨城県の水戸駅と東京駅が約110kmほどですから、それなりに離れているとイメージしやすいと思います。ちなみに新地町と仙台市間は約50kmほど、新地町と福島市は約60kmほど離れていますので、都市計画上は別々の区域ではありますが、新地町は仙台圏と考えていいと思いますね。

実際、福島県側に属したのは1868年の江戸幕府崩壊後で150年ほどの歴史しかありませんが、それ以前の江戸時代と室町時代後期は仙台の伊達家の領地(仙台藩)でした。調べてみますと室町時代後期に相馬氏と伊達氏で合戦があり、その際に新地町は伊達領となったそうです。

新地という町名の由来として「新しい領地」という理由で”新地”という説が残っているほど。

なぜ福島県に編入となったのかを知る理由は分かりませんでしたが、当時の仙台藩は領地が大きく、現在の一関や江刺なども仙台藩でしたが、現在は岩手県の一部となっているように、幕末の戊辰戦争による敗戦が影響していたのかもしれません。

新地町は戊辰戦争の際に仙台藩領内に敵を侵入させないために仙台藩が必死になって戦った激戦地として知られており、町内にもいくつか石碑が建てられています。結果的にはこの新地領での敗北のあった翌月に仙台藩は降伏していいます。*仙台藩の最南端領地であったことが理解できる場所でもあるので歴史的にも将来に残って欲しい町です。

*仙台藩松山隊勇戦地

ということで現在に話を戻します。

新地町の約100年前の人口と現在(2020年)の人口です。

新地町の人口

*津波被害を受けたエリアは防災公園に整備

1920年(大正9年)と現在では高齢者割合が全く異なりますが人口に関しては、一時は昭和25年に1.2万人を記録した時代もありましたが、ここ数十年は8千人程度の人口で推移しています。

新地町の人口
1920年(大正9年)新地村(3,458人)
駒ヶ嶺村(2,351人)
福田村(1,990人)
=7,799人
2020年(令和2年)7,905人
新地町の人口

宮城県との関係性

冒頭でお伝えしたように新地町と仙台市は約50km程度しか離れていませんし、過去の経緯を踏まえると宮城県よりと言っていいと思います。

*新地駅時刻表 運賃表 *6:51や7:22に乗車すれば仙台市内での8:30or9:00出勤に間に合う。

物理的な距離も近いですし、鉄道(常磐線各駅停車)による所要時間も約1時間(運賃860円)となっており、十分に通勤圏内と考えられます。
*電車の本数も朝の通勤時間帯は30分に一本と仙台圏への通勤を見越してありますし、仙台駅からの時刻表も確認すると新地までは30分に一本ペース(新地駅止まり)でダイヤが組まれており明らかに新地駅からの通勤・通学者に配慮している。

実際に平成27年の国勢調査結果によると、15歳以上の通勤・通学者4,449人のうち宮城県へ通勤・通学されている方は、564人と全体の13%となっており、最も多い相馬市の1,269人(全体の29%)に次いで2番目となっています。なお、宮城県内では仙台市が最も多く178人(4%)、次いでお隣の山元町が153人(3%)となっています。*南相馬市へは402名(9%)

お隣の山元町の15歳以上の通勤・通学者に関して見てみると、仙台市への通勤も多いのですが、6,186人のうち新地町へは105人(全体の2%)、相馬市へは202人(全体3%)と僅かながらも県を跨いでいることが分かります。

参考までに相馬市の場合には、15歳以上の通勤・通学者20,239人のうち宮城県へ通勤・通学されている方は、999人と全体の5%。南相馬市の場合には、30,728人のうち397人と全体の1%という結果でした。

すなわち、全体の1割以上が宮城県に通勤・通学している新地町は仙台圏と言っていいと思います。

※もう少しすれば、令和2年国勢調査結果によって最新の動向が分かりますので、分かり次第更新します。

新地町は相馬市・南相馬と同一の都市計画区域

*相馬地方都市計画区域マスタープラン土地利用方針図(出典:福島県) *新地町は図左側

新地町は都市計画上、相馬市及び南相馬市と同一の都市計画区域(正式名称:相馬地方都市計画区域)となります。

都市計画区域は非線引きといって市街化区域と市街化調整区域の区分け(区域区分)を行っておりませんが都市規模としては、都市計画区域内人口として約9.99万人(令和2年3月末時点)と、それなりの人口を有しています。

とはいえ、新地町は仙台圏に引っ張られている感じは受けるものの特に隣接する相馬市との結びつきが大きいように思われます。一方で距離の離れた南相馬市との関係性は低いように見受けられます。

相馬市が中心であれば良かったのでしょうけど、相馬地方の中心は南相馬市原町区となっているため新地町からすると同一都市圏としての一体感は薄いように考えられます。

*新地町より相馬港方面を望む

(感覚的には、新地駅に近い場所で住宅分譲が行われるようであれば、仙台圏からの移住者を一定数は確保できるようにも考えられますが、約150年にわたる福島県側の行政運営により相馬との結び付きが強く、相馬市を中心とした街づくりにシフトした方が合理的のような感じも受けます。*第三者的視点ですみません。)

震災復興により住みやすさが向上

*東日本大震災で被災する前の新地駅
*新地町文化交流センター

新地駅周辺は震災後の復興整備により住みやすさのグレードが震災前よりも上がっているように見受けられます。特に公園整備や駅前ホテル、飲食店、さらには宅地分譲は駅周辺の活性化につながっているのでは?と思います。

とはいえ、ぎりぎり8千人の町とはいえ、町内でも3つに拠点が分かれているので、行政運営の効率化は難しい状況なのかなと思います。

人口規模的にはスーパーや医療施設の充実は不可能ですし、駅近の居住地としてアパート・賃貸マンションの供給を行っていかないと、これ以上の発展は難しいかなというのが印象です。特に新地駅周辺人口が少なすぎるのが課題では思います。小さな町に拠点が3つもあるため内部統制が上手く機能して来なかった歴史が今になってボディブローのように効いているのだと思います。

新地町が作成している人口ビジョンの展望人口となることはまずあり得ないので、早期に軌道修正することをお勧めしたいところ。

まとめ

*新地町役場

新地町・相馬市・南相馬市ともにコンパクトシティに向けた取り組みを行っていない(立地適正化計画の作成を行っていない)ので、この機会に3都市で同一の立地適正化計画をつくり3つあわせた10万人都市でどのようなまちづくりを行っていくのか、将来的な連携・合併を含めて話合っていくのが良いのでは?と真剣に思うところ。

新地町さんの人口ビジョンを確認すると推計人口では2040年頃に6,000人、2050年には5,000人近くまで減少する予定となっています。

もはや自然増は期待できませんから宮城県側や首都からの移住(社会増)を増やす取り組み(もちろん、地震・津波対策は必須)が求められているのではと思います。

ということで以上となります。

ちょっと厳しいことも言ってしまい新地町にお住まいの方すみません。とはいえ、危機的な状況であることには違いありません。仙台藩の歴史を重んじるのであれば独立して仙台圏に目を向けてまちづくりを進めるのか、相馬市・南相馬と一緒にまちづくりを行うのか判断する時にあると思います。選択を曖昧にしてどっち付かずにいると、高い確率で2060年には自治体の消滅危機(持続不可)に直面します。

ちなみにですが、新地米の北側は山元町・亘理町の「苺」、南側は相馬の「海産物」を頂くことで来ますから、最高だと思いますよ〜〜。なお、新地駅前には震災後に誕生した綺麗なホテルがありますので宿泊してみてはどうでしょうか。

それではまた〜〜♪

*新地町内のマンホール