いわき・植田の歴史と暮らし|本町・中央・南町の成り立ち

植田駅周辺と鮫川の実際の空中写真。国土地理院・地理院タイルを加工。
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福島県いわき市の南部に、常磐線の植田(うえだ)駅があります。いわき駅周辺や小名浜には行ったことがあっても、植田ではまだ降りたことがない。そんな方もいるのではないでしょうか。

今回取り上げるのは、植田駅の東側に広がる本町・中央・南町です。地図と市の地域史を見比べてみると、宿場から続く本町、鉄道と駅前整備で発展した中央、旧勿来市の時代に農地を整えた南町という違いがありました。同じ駅前でも、町ができた経緯はそれぞれ違うのですね。

さらに、2020年の国勢調査では、この三つの町の8町丁目に1,924人が暮らしていました。特に南町は、8町丁目全体の面積の約2割に、人口の約3割が暮らす場所です。図書館や公民館が立地する町を、住んでいる人の側から見るとどうなのか。この数字が気になり、歴史と一緒に調べてみました。

この記事では、植田がどこにあり、三つの町がどうできて、住宅や公共施設がどのように立地しているのかを紹介します。初めて訪れるときに、駅前や本町通りを少し違った目で見てもらえたらと思います。

目次

いわき市南部、常磐線沿いの植田

植田は、いわき市南部の勿来(なこそ)地区に含まれます。植田駅と勿来駅は別の駅で、常磐線では隣り合っています。いわき駅から南へ向かうと、内郷(うちごう)、湯本、泉、植田、勿来の順です。水戸方面からは、この逆の順になります。列車で訪れる際は、JR東日本の植田駅時刻表で行き帰りの列車を確認できます。

実は植田駅には、かつて特急も停車していました。市の植田駅の歴史によると、1985年3月に特急「ひたち」の一部が停車するようになりました。その約30年後、2015年3月14日のダイヤ改正で特急の停車がなくなります。市は、このときの再編を、特急停車を勿来駅に集約したものと説明しています。

この改正は、上野東京ラインの開業と同じ日でした。東京方面へのアクセスが変わるなか、植田では特急に直接乗れなくなったことへの懸念が、当時の福島県議会でも取り上げられています。駅前の町の歴史を知るうえで、覚えておきたい変化だと思います。

現在、特急を使って植田を訪れる場合は、利用する列車の停車駅に応じて泉駅や勿来駅で普通列車に乗り換えることになります。初めて出かける方は、特急の所要時間だけでなく、乗り継ぎの待ち時間も含めて調べておくと予定を立てやすいと思います。

「勿来」という名前の施設でも、最寄り駅が勿来駅とは限りません。この記事に登場する勿来図書館は、植田駅側の市街地に立地しています。初めて行くときには、施設名に加えて住所も見ておくと分かりやすいと思います。

今回の範囲は、本町(ほんちょう)一〜三丁目、中央(ちゅうおう)一〜三丁目、南町(みなみまち)一・二丁目。合わせて8町丁目、約0.52km²です。植田町全体や、かつての勿来市全体を指す数字ではありません。まず、この駅東側の小さな範囲を見ていきます。

地図で見比べる本町・中央・南町

植田駅東側の8町丁目と2020年人口。北側に中央、その南側に本町、鮫川寄りに南町が位置し、勿来図書館は南町一丁目に立地する。
2020年の町境界・人口に、道路・建物・常磐線と勿来図書館の位置を重ねました。数字は各丁目の総人口です。タップすると地図を拡大できます。

まずは位置関係から。地図の西側を通るのが常磐線、南側を流れるのが鮫川です。駅前から北へ広がる中央一〜三丁目、その南側の本町一〜三丁目、さらに鮫川寄りの南町一・二丁目を取り上げます。

町名町を知る手がかり
本町浜街道の宿場から続く本町通り。本町一丁目には、こども元気センターが立地
中央植田駅と本町を結んだ台町通り。駅前の道路拡幅や区画整理が進められた区域
南町旧勿来市の時代に農地を区画整理した区域。勿来図書館・植田公民館が立地
市の地域史・施設案内をもとに整理。町名はいずれも「植田町」を省略しています。

町の歴史に興味があるなら本町通り、駅前の道路や広場が気になるなら中央、図書館や公民館を訪ねるなら南町。気になる場所を一つ決めてから地図を見ると、三つの町の位置関係もつかみやすいと思います。

磐城平藩領の植田と、宿場を引き継ぐ本町通り

植田の町の歴史は、駅ができるよりも前にさかのぼります。市の「植田町本町」の地域史によると、江戸時代には浜街道の宿場が置かれ、鮫川の川運も利用されていました。街道を行く人と、川を通じて運ばれる物資が集まる町だったのです。

現在のいわき駅周辺に城を置いた、磐城平(いわきたいら)藩との関係もあります。市教育委員会の『磐城平城文献等調査報告書』は、1756年に始まる安藤氏の時代について、植田を平藩の飛び地として挙げています。飛び地とは、藩の領地が一続きではなく、離れた場所にもあったということです。市の勿来地区の歴史資料には、植田村に平藩の陣屋が置かれたことも記されています。陣屋は、領地の行政を担う役所のような施設です。

いまは同じ「いわき市」でも、江戸時代の領地や町村の境界は現在とは違います。植田には、平藩の領地として、また街道の宿場としての歴史があります。一方、後ほど触れる南町には旧錦村の農地だった区域も含まれるので、現在の町名の範囲をそのまま昔に当てはめることはできません。

1897年に植田駅が開設されると、町には鉄道も加わります。市の地域史では、周辺の田人(たびと)・遠野(とおの)・錦(にしき)・山田の各地域から石炭や農林産物が集まる交通の要所となり、行政機関も置かれていったと紹介されています。駅ができたことで、それまでの街道や川運に、新しい輸送手段が加わったわけです。

本町通りの商業の歴史を考えるとき、この経緯は外せないと思います。今の駅前だけを見ていると分かりにくいのですが、植田には鉄道以前から人や物が集まる理由がありました。以前まとめた浜街道の宿場と旧道の記事と見比べると、周辺の宿場との位置関係も確認できます。

11年余り続いた勿来市と、五つの町村の合併

では、植田と「勿来」という名前は、どのようにつながるのでしょうか。ここで出てくるのが、いわき市になる前の勿来市です。

市の統計書「地域の変遷」によると、1955年4月29日、植田町・錦町・勿来町・山田村・川部村が合併して勿来市が誕生しました。1966年10月1日には、勿来市を含む14市町村が合併して、現在のいわき市となります。勿来市としての期間は11年余りでした。

当時の「勿来市」は、勿来駅周辺だけでなく、植田や錦、山田、川部も含む市でした。現在の勿来駅、旧勿来市、いわき市の勿来地区。同じ「勿来」でも指す範囲が違うため、地図や施設案内を見るときには少し気をつけたいところです。

合併すれば、すぐに市の中心が一つに決まるわけでもなかったようです。市の「錦町大島」の地域史には、新しい市役所の場所をめぐる調整が紹介されています。植田町側は、錦町内に建てるなら、できるだけ植田に寄った場所を求めました。その後、1957年に場所が決まり、新庁舎は1960年2月に完成しています。

この話を読むと、植田と錦にはそれぞれ町としての蓄積があり、合併後の施設の配置も、その関係を調整しながら決められたことが分かります。「植田も昔から一括して勿来だった」と捉えるより、もともと別の町村が一つの市になった、と考える方が、町の歴史に合っていると思います。

旧勿来市が整えた南町と、整備が続いた中央

11年余りというと短く感じますが、植田の町並みを考えるうえでは大事な時期です。南町の区画整理と、中央の駅前整備の決定は、どちらも旧勿来市の時代でした。

市の「植田町南町」の地域史によると、後に南町となる区域には、長く耕作されてきた農地が広がっていました。ここには鮫川(さめがわ)の流路の変化によって、川の北側に位置しながら錦村に属していた土地もありました。いまの地図だけでは、この経緯はなかなか分かりません。

この農地を市街地として整えるため、勿来市は1959年に植田第一土地区画整理事業の認可を受けます。区画整理は、道路と土地の区画を整えて、建物を建てやすくする事業です。1960年11月には植田公民館が街中から移転し、1965年7月に事業が完成しました。

一方、中央の駅前側には別の事情がありました。かつての台町通りは、植田駅と本町通りを結ぶ道です。市の「植田町台町」の地域史には、1955年頃の道幅は6.5mで、バスやトラックが軒先すれすれを通り、ひさしや看板を擦る事故も起きていたと記されています。

商店街の発展とともに車も増え、昔の道幅では対応しきれなくなったのです。1965年12月、約23.64haを対象に植田第二土地区画整理・植田駅前都市改造事業が決まりました。台町通りを18mに広げる計画も含まれ、その後、いわき市となってからも整備が続きます。中央一〜三丁目という町名にも、この整備の経緯が関わっています。

時期植田周辺の出来事
江戸時代植田に浜街道の宿場。平藩領・陣屋の歴史
1897年植田駅の開設。駅と本町を結ぶ台町通りの発展
1955年4月3町2村の合併による勿来市の誕生
1959〜1965年植田第一土地区画整理事業。南町の市街地整備
1960年勿来市役所の新庁舎完成、植田公民館の移転
1965年12月植田第二土地区画整理・植田駅前都市改造事業の決定
1966年10月14市町村の合併によるいわき市の誕生
1985年3月植田駅に特急「ひたち」の一部が停車
2015年3月14日ダイヤ改正で植田駅への特急停車がなくなる
いわき市の地域史、統計書、磐城平城調査報告書、福島県議会記録から作成。区画整理の事業区域と、今回人口を集計した町丁目の境界は同一ではありません。

本町は宿場から、中央は駅との往来から、南町は農地の整備から。それぞれの経緯を知ると、地図の道路や街区の違いも気になってきます。今の植田は、一度に計画してつくった町ではなく、以前からの町を使いながら、道路や住宅地を整えてきた町なのだと思います。

面積の約2割に人口の約3割が暮らす南町

歴史を見たところで、今度は住んでいる人の分布を確かめてみます。2020年の国勢調査では、中央が863人、本町が482人、南町が579人。合計で1,924人、924世帯でした。現在の人数ではありませんが、商店街や公共施設の周囲に、どれくらいの人が暮らしていたかが分かります。

8町丁目の中での面積と人口の割合

面積の割合

中央
47.1%
本町
30.9%
南町
22.0%

人口の割合

中央
44.9%
本町
25.1%
南町
30.1%
各行の合計を100%として比較。面積は2020年町境界の計算値、人口は2020年国勢調査の総人口。四捨五入のため表示値の合計が100%にならない場合があります。

私が気になったのは南町です。8町丁目の面積の22.0%に対して、人口は30.1%を占めていました。土地の広さの割合より、住んでいる人の割合が大きいのです。1ha当たりでは、中央35.4人、本町30.2人に対して、南町は50.9人でした。

町のまとまり人口面積人口密度
中央863人24.4ha35.4人/ha
本町482人16.0ha30.2人/ha
南町579人11.4ha50.9人/ha
2020年国勢調査。1haは100m四方の面積。道路・店舗・公共施設の敷地も含む町全体の面積で計算しています。

南町は、この三つの町の中では面積が最も小さい一方、人口は本町より多くなっています。図書館や公民館を目的に訪れると施設に目が向きますが、その周囲も人が暮らす住宅地なのだと、この数字から分かります。かつての農地が市街地に変わった経緯を知ると、南町の区画整理を、現在の住まいにつながる出来事として捉えられると思います。

ただし、人口密度が高いほど便利、という比較ではありません。中央や本町には店舗や道路などの敷地もあり、建物の使い方や集合住宅の有無によっても人口は変わります。今回分かったのは、8町丁目の中での居住人口の分布です。

初めて訪れる際の、図書館と子どもの施設

勿来図書館の所在地は、植田町南町一丁目2-2。植田公民館の3階に入っています。名称が「勿来」で所在地が「植田」なのは、先ほど見た合併の歴史と関係しています。市の南町の地域史も、旧勿来市の発足時の調整を背景に、この名称の組み合わせを説明しています。

住所だけなら少し不思議に見えても、植田を含めて一つの市だったことを知ると、納得できるのではないでしょうか。なお、公民館が1960年に移転したことと、現在の建物の竣工は別の話です。市の地域史では、同じ場所で1978年に改築したとされています。

本町一丁目にはこども元気センターも立地しています。こちらは2016年4月開館で、屋内遊具や遊戯室、屋内運動施設などを備えた施設です。子どもの利用には保護者の同伴が必要なので、出かける前に施設の案内を確認しておくと安心です。

図書館を訪ねるなら、行き先は「植田公民館3階」です。公式の施設案内には地図と開館日が掲載されています。図書館とこども元気センターは別の建物なので、上の地図と住所を見比べながら目的地を確認してみてください。

子どもと出かける場合、こども元気センターは立ち寄り先の候補になると思います。運営者の案内では、昼間の遊戯室・教養室・屋内運動場は、就学前から小学6年生までの子どもとその保護者が無料で利用できます。イベントや利用条件、休館日は、出発前に公式案内を確認してください。

こうした施設が、駅東側の住宅地に立地しています。町の外から利用する人にとっては訪れる目的になり、周囲に住む人にとっては日々利用できる施設です。人口の分布と施設の位置を合わせて見ると、植田のこの範囲には、駅前の商業だけでなく、住まいと公共施設もあることが分かります。

これからの植田で気になる、施設までの道

市の第二次都市計画マスタープランでは、「勿来・田人地域」の方針として、植田などの日常生活を支える商業的な土地利用の維持や、駅・主要なバス停の周辺への住宅・生活機能の立地、市街地の歩行環境の改善を挙げています(本文70ページ)。

今回の地図を見て、私が次に確かめたいと思ったのは、図書館やこども元気センターまでの道です。横断しやすい場所があるか、ベビーカーで通るとどうか、休める場所があるか。住宅と施設が近接しているからこそ、途中の道の使いやすさも大事になると考えられます。今回は現地での確認や歩行経路の計算までは行っていません。

また、鮫川沿いの低地でもあるため、住まいを探す方は、市の浸水(内水)ハザードマップなども合わせて見ておきたいところです。町の成り立ちを知ることと、現在の場所ごとの条件を確認することは、どちらも必要だと思います。

本町には宿場の歴史があり、中央には鉄道と駅前整備の歴史、南町には旧勿来市が農地を市街地に変えてきた歴史があります。2020年には、その三つの町に約2,000人が暮らしていました。駅に加えて、図書館・公民館・子どもの施設も立地している。人口と市の資料を重ねて確認できた、植田駅東側の特徴です。

初めて植田を訪れるなら、駅前の中央と、本町通り、図書館が立地する南町を地図で見比べてから出かけるのも面白いと思います。本町は宿場の歴史、中央は駅との往来、南町は農地から住宅地への変化。町並みを見る手がかりがあると、見慣れない通りにも関心を持ちやすくなるのではないでしょうか。市の地域史に掲載された昔の写真も、その比較に役立ちます。

8町丁目の人口・世帯数と集計の範囲

集計したのは本町一〜三丁目、中央一〜三丁目、南町一・二丁目です。植田町の他の区域、東田町、佐糠町などは含めていません。「植田全体」や「旧勿来市全体」の数字ではなく、今回取り上げた8町丁目の数字としてご覧ください。

町丁目人口世帯数
本町一丁目205人75世帯
本町二丁目126人76世帯
本町三丁目151人98世帯
南町一丁目282人132世帯
南町二丁目297人126世帯
中央一丁目235人108世帯
中央二丁目242人116世帯
中央三丁目386人193世帯
合計1,924人924世帯
2020年10月1日。人口は総人口、世帯数は総世帯数です。一般世帯だけに限定した値ではありません。町名はすべて「植田町」の表記を省略しています。

人口・世帯数は総務省統計局「令和2年国勢調査」小地域集計・福島県、第2表(2022年2月10日公表)を使用しました。地域階層レベル4の8町丁目だけを合計し、植田町の総計を重ねて足していません。対象8町丁目に秘匿・合算処理はありません。

境界はCODH「国勢調査町丁・字等別境界データセット」の2020年データを使用し、町丁字コードで結合しました。面積は平面直角座標系第IX系で計算しています。人口を面積に応じて配分する推計はしていません。都市マスタープランの「勿来・田人地域」は、この8町丁目より広い範囲であり、計画上の地域人口との直接比較はしていません。

鉄道は国土数値情報・鉄道データ(2025年)、道路・建物の背景とアイキャッチの空中写真は地理院タイルを加工しました。取得日は2026年9月30日で、写真の撮影日や道路の調査日ではありません。施設の所在地・利用案内は同日に公式資料を確認しています。

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この記事を書いた人

▷一級建築士,建築基準適合判定資格者(建築主事試験),宅地建物取引士,建築物省エネ適合性判定員など
▷建築関連法規や都市計画法規などに関することや、都市計画・公共交通・住宅政策などが得意分野です。
▷コンサルタント依頼はこちらから(https://visasq.co.jp)

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