この記事では、茨城県坂東市に立地している国王神社(別名:将門神社)の文化財をレビューしています。
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拝殿・本殿が茨城県文化財として指定
平将門(903?-940)の終焉の地として有名で平将門の三女(滝夜叉姫)が平将門の33回忌に祠を建てたのがはじまりとのこと。三女は将門の乱の際に東北の恵日寺に逃れており、その東北というのが福島県いわき市四倉町玉山地区のことらしい(磐梯町の恵日寺との伝承も残っているが、浜通りに平氏が多いことを踏まえるといわき市という説は信憑性がある)。
神社の案内板には次のように書かれていました。
御祭神社は平将門公である。将門公は平安時代の中期、この地方を本拠として関東一円を平定し、剛勇の武将として知られた平家の一族である。天慶3年(940年)2月、平貞盛、藤原秀郷の連合軍と北山で激戦中、流れ矢にあたり、38歳の若さで戦死したと伝えられる。
坂東市
その後、長い間叛臣の汚名をきせられたが、民衆の心に残る英雄として地方民の崇敬の気持は変わらなかった。本社が長く地方民に信仰されてきたのも、その現れの一つであろう。
本社に秘蔵される将門公の木像は将門公の三女如蔵尼が刻んだこという伝説があるが、神像として珍しく、本殿ともに茨城県文化財に指定されている。
拝殿(県文化財)・幣殿(坂東市文化財)・本殿(県文化財)ともに規模は小さく質素な造りであるものの特に江戸時代初期の本殿(流造)は建築歴史的にも貴重で300年近く存続しているとは思えないほどの線形美が際立っています。(柱は杉材を使っているらしく丁寧にメンテナンスされているからこそ、残っているということ。)
特質すべきは拝殿も茨城県の文化財として指定を受けているみたい。
通常、拝殿は所有者等によって現代風に改変が行われている国や県の文化財となることは少ないのですが、江戸時代後期の建築ということでその後の改変も行われていないことから県の文化財として指定されたものと思いますから200年前のまま。
なお、拝殿と本殿を接続する幣殿(本殿への御供物を置くところ)は坂東市の文化財に指定されています。
茅葺は少し痛みが出ているのでそろそろ葺き替えの時期に来ていそう。
境内に話を移すと、こじんまりとした神社の佇まいと参道の緑道が落ち着きある別空間を構成しているように思います。
将門公を怨霊として心霊の対象として扱う方もいるようですが、坂東武者(関東武者)として民に慕われたことがわかる、将門公は怨霊というよりも神霊のような扱いに思えます。
*スピリチュアルはあまり信用していませんが長年愛されていたことが分かる神社かなと思います。
私自身、今回、初めて国王神社(将門神社)に行きましたが境内の雰囲気が周辺とは別世界で都内の「神田明神」とはまた違ったパワースポットとしての魅力があり、パワースポット好きの方々が多く来訪される理由が分かる気がします。
とはいえですが、国王神社は将門公ゆかりの神社としてだけでなく文化財として建築的にも貴重なので、そうした面でもお参りする価値は高い。というのが私の考えです。
本殿は1683年に建築されていますから340年近い歴史があることになります。多くの寺社仏閣が銅板や瓦に葺き替えてしまっている中、耐用年数の短い本来の茅葺で300年近く存続しているということは地域に愛されていた証です。
【本殿】建築年:1683年(木造、茅葺、流造)
【拝殿】建築年:1817年に再建(木造、茅葺、入母屋)
坂東市には平将門に関係する施設として延命寺(指定文化財有)や石井の井戸などが残されているので、他にも散策することをおすすめします。
アクセス方法
坂東市には鉄道が無いため徒歩によるアクセスは不可能となり路線バスの利用が前提となります。路線バスに関しても乗車時間が長く隣接する守谷市か野田市(千葉県)からアクセスすることになります。
>>>路線バス図:http://www.bus-ibaraki.jp/busmap2/bando00.html
おすすめは車かタクシーとなります。駐車場は神社に隣接して公民館があるため駐車することが可能です。
ということで以上となります。参考となりましたら幸いです。