この記事では、吉田古墳へのアクセス方法を解説しています。また、現地まで行って見る意味あるの!?といった疑問に答えたいと思います。
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吉田古墳へのアクセス方法
吉田古墳は水戸駅南口から徒歩で15〜20分程度(距離にして約1.4km)です。
ですので、徒歩による距離圏ギリギリくらいですから徒歩が一番おすすめかな…と思います。ただし、古墳は、吉田台地にあるため水戸駅からは登り坂となっているので、歩くのが嫌いな方は路線バスやレンタサイクルが良いと思います。*古墳のみでタクシー活用という手もなくはないでし。
注意事項があります。
住宅街の中にある古墳で、しかも規模がめちゃ大きい!というわけではないのですし復元整備もされているわけではないため「え、これ…」と思ってしまうかもしれません(水戸市の方、すみません。)。
と言っておきながらも、史跡としてはとても貴重な古墳です。
現地を見ただけは貴重な文化財であることが分かり難いのが古墳の難しいところ。今後、水戸市では復元整備なども検討しているようですので、まちづくりのツールとして活用されるようになれば水戸市の観光拠点の一つとなる可能性もあるので、今後に期待です。
吉田古墳とは?
国の指定史跡(大正11年に指定)となっている吉田古墳ですが、つくられたのは7世紀中頃の古墳時代。全国的にも珍しい多角形の古墳で、石室や壁画、勾玉などの出土品が見つかっているようです。現地の案内板については次のように書かれていました。
この古墳は飛鳥時代の6世紀以降に造られたもので、現在は一辺8m高さ1.6mほどの方墳にすぎないが、周溝から判断すると当時は一辺30mを越えていたことが推定さえる。内部主体は南に開口する全長約3mの凝灰石の板状の石で構築した横穴式石室であり、大正3年4月に発掘され、金環、鉄鏃(やじり)、直刀、勾玉等が発見された。また、石室の奥壁には線刻で靫、刀子、鉾等武具を主体した壁画が施されている。このような壁画古墳は、北九州について関東から福島にかけての東海岸に多く発見されているところから、当時の文化の伝播と強い関連が考えられる。
水戸市教育委員会
千年以上の前のモノが現代にも残っているということもすごいですが、そうした古墳の発掘調査を行っていて、かつ、まちづくりを視野に入れて復元までも検討しているとは感心します。
水戸市以外の他の市町村にも古墳はいくつか見つかっていますが、しっかりと発掘調査が行われていない古墳もあるので、他の古墳に隠れている潜在的な歴史を知りたくなっちゃいますよね。
教育や文化、歴史などに関して地域のアイデンティティ醸成にも関連する取り組みですから、水戸市教育委員会さんには頑張って欲しいところ(私以外にも期待している人多数)。そして、水戸市さんを見習って、他の市町村さんにも発掘、文化財の保存・活用には力を入れて欲しいなーって思っちゃいます。
それでは以上となります。参考になりましたら幸いです。