都市計画の視点からみる相馬市の魅力

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この記事では相馬中村城を有する相馬市の魅力を都市計画の視点から伝えています。

相馬市といえば「相馬の野馬追い」や「相馬中村神社(相馬城跡)」などの伝統・文化を継承した戦国から江戸までの歴史を感じ取ることができる都市ではないかと思います。

加えて、思想面でも江戸時代後期に二宮尊徳による報徳思想を取り入れています。現在でも相馬市を含む旧相馬藩領の市町村では二宮尊徳(1787年生)が確立した「至誠、勤労、分度、推譲」の精神を学校教育の中で教えています。

ここで至誠、分度、推譲などを説明すると長くなってしまうので簡単に説明すると、思想の根底にあるのは「至誠」で、至誠とは性善説を説いた孟子の言葉で誠実(まごごろ)を意味し吉田松陰の名言として「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」という言葉が残っています。

報徳の心は真面目に毎日少しづつ努力を積み重ねれば成功する。

成功しても自分の身の丈にあった生活を心がけ成功で得た資産の一部は家族や後世の社会に譲りなさい。とするものです。旧相馬藩領の市町村も報徳の思想を教育に取り入れているようなので教育を受けているのであれば真面目な方が多いのかもしれないです。

少し余談でしたが相馬城下があった相馬市では市民憲章にも「報徳」という文言を取り入れているので報徳思想を継承する都市の一つでもあります。

目次

江戸時代の相馬中村

少し歴史を遡り、水戸藩士の小宮山楓軒(農政改革や徳川斉昭の側用人を務めた人物。1764-1840)による「浴陸奥温泉記(1827)」によると、1827年旧暦の5月21日(現在の6月下旬)に相馬の野馬追いを見物した後に相馬中村城下を訪れ宿泊しています。当時の記録によると朝方に微雨その後晴だったらしいく梅雨の合間といった感じですかね。

宇多川の板橋を渡ると城下に着き、町屋は石置き木羽葺きの家屋だが繁栄しており魚屋多く質屋あり相馬の陶磁器屋ありと記述しており、土浦に似ており又、江戸日本橋の趣きもありとしているので賑やかだったに違いないはずです。

さらに、「ヨキ町ナリ」と書かれているので質素倹約の水戸藩出身の小宮山楓軒にとっても良い町に映ったということは城下の雰囲気が気に入ったに違いないと思われます。

相馬市の都市計画情報と魅力

都市計画的にみると相馬市は、相馬地方都市計画区域(南相馬市、相馬市、新地町)で構成される都市圏の一市町村です。旧相馬藩領である飯館村や浪江町、双葉町、大熊町はそれぞれの都市計画区域(*飯館村は都市計画区域外)であり、旧仙台藩領の新地町は同一の都市計画区域となっているのが特徴的です。

市町村名都市計画区域名都市計画区域面積
(ha)
都市計画区域人口
(千人)
相馬市相馬地方11,98232.8
南相馬市相馬地方22,42952.0
新地町相馬地方4,6697.8
浪江町浪江5,62616.5
双葉町双葉3,9420.0
大熊町富岡3,8730.9
合計52,521110.0
*相馬市周辺の都市計画情報(令和4年3月末時点,令和4年都市計画現況調査)

相馬市では、旧相馬藩領の人口約10万人のうち約3万人が暮らしています。

相馬市周辺の用途地域とDID

一般的に市街地があることを示す人口集中地区(DID地区)は、相馬市と南相馬市(旧原町市)にあり、また、都市計画区域に対する用途地域の面積割合などを見ても比較的コンパクトに市街地が形成されています(=市街地は歩いて暮らしやすい)。

市町村名用途地域面積
(ha)
用途地域面積(ha)
*工業専用を除く
( ):都計区域に対する割合
相馬市1,223954(8.0%)
南相馬市1,0491,036(4.6%)
新地町386102(2.2%)
*相馬地方都市計画区域の用途地域情報(令和4年3月末時点,令和4年都市計画現況調査)
市町村名DID面積(ha)
*():用途地域に対する割合
DID人口(千人)
相馬市250(26%)7.6
南相馬市649(63%)21.1
*相馬地方都市計画区域のDID情報(令和4年3月末時点,令和4年都市計画現況調査)

相馬市の自家用車分担率は県平均よりも高い

相馬市の自家用車分担率(通勤・通学者の利用交通手段における自家用車及びオートバイのみ利用割合)は、79.4%となっており、県平均の75.8%よりも高いのが特徴です。徒歩や自転車、電車のみの割合は県平均よりも低く11.3%となており、自家用車の依存度が高い状況です。

市町村名自家用車分担率
(%)
徒歩等の割合
(%)
相馬市79.411.3
南相馬市78.911.6
(参考)県平均75.814.3
(参考)いわき市79.611.0
*相馬市等の自家用車分担率(令和2年国勢調査)

市街地が外に外に拡散しつ人口密度が低下した結果、公共交通網が衰退したことで徒歩や自転車圏で暮らすことができるカバー率が低下した結果です。とはいえ相馬市の場合にはそもそも市街地自体の面積(エリア)が小さいためここで食い止めて市街地への誘導を図ることで暮らしやすい街をつくることは可能ではと思われるところです。
*南相馬市も同様

相馬市は仙台圏への通勤の割合が約20%

相馬市は福島県北部で元は仙台との境界に位置していたこともあり仙台の経済圏に近いのが特徴的です。他市町村への通勤・通学者数をみると宮城方面への通勤・通学者数が多いことがわかります。

市町村名就業者・通学者数(人)割合
他市への従業・通学総数5,289人
南相馬市2,71351.3%
新地町84916.1%
仙台市4077.7%
角田市1522.9%
山元町1182.2%
*相馬市の他市町村への従業・通学者数(令和2年国勢調査)

相馬市から仙台駅までは比較的近いこともあり朝夕は時間あたり2〜3本、デイタイムは時間1本、特急3本で、普通列車で70分程度(990円)、特急だと約40分(2010円)となっているため通勤で利用しやすい状況にあると思います。

ちなみに、高速道路の場合には、相馬ICから長町ICまで(距離54km)までは、標準時間で約40分、高速料金は1,730円となっています。高速バスの場合には朝3本(1,000円)相馬ICから運行されており時間にして70分となっています。時間を優先すれば車か特急、コストを優先すると鉄道や高速バスになるかと思います。
*朝に通勤・通学用の特急列車や快速を運行するともう少し仙台圏への利用者が増えそうです。

相馬市の場合は新地町同様に仙塩都市圏の影響下にあるため休日は仙台圏まで遊びやレジャーに移動している方が多いのではないかと想定されるところです。

ちなみに、お隣の南相馬市(原町)の場合には、相馬駅と原ノ町駅で約20分程度要するため原ノ町から仙台圏へ通勤・通学するには少し遠いかと思います。実際、南相馬から仙台市への通勤・通学者数は286人となっており相馬市から仙台市への通勤・通学者数よりも低いです(南相馬→相馬:1,535人、南相馬→浪江:1,004人)。

ですので、相馬の特徴として、旧相馬藩領である原町や小高、浪江などとの結び付きはあるものの、仙台圏の影響下にあるためバランスを取るのがむずかしい状況にあるとは思います。とはいえ、仙台よりも若干気候的に温暖で仙台圏への通勤も可能、南相馬等を含めれば人口10万人を有するため日常生活に最低限必要な施設が揃っていると考えられるので暮らしやすい都市に入ると思います。

実際、相馬のお隣の新地町の令和4年の社会増減率は人口減少下でも-0.14%(県平均は-0.36%)にとどまっています。亘理町では+0.37%ですので、今後、中心市街地への税投資次第では相馬市を含めて常磐線沿線沿いの人気が高まる可能性は十分にありそうです。

まとめ

相馬市は都市計画的にみると南相馬や新地との結び付きは強いものの、仙台圏への影響を受けていることもあって宮城方面への通勤・通学者数は通勤・通学者総数の2割(18.6%)近い状況です。

このため、南相馬との連携した土地利用を図る必要があるものの仙台方面に通勤・通学する方に視点を合わせたバランスの取れた都市計画が求められます。

相馬の魅力は、駅周辺に比較的なコンパクトな市街地が維持されていることと仙台圏に近いことにあります。
高度成長期に市街地拡散が進んだ多くの都市で自家用車に過度に依存せざるを得ない中、小都市で市街地がコンパクトな相馬は今後の都市に求められる姿なのかもしれないです。

現在のDID面積は250ha、DID人口は7.6千人ですが、15年前は254haで約9千人の人口があったようですので、目標密度を60人/haに設定すれば、1.5万人の市街地をつくることができるかもしれないです。そうすればさらに暮らしやすい都市をつくれるはずです。いかにDID地区に再投資するか次第かもしれないです。山形の鶴岡のように線引きを導入するのも選択肢の一つとして考えられるところです。

ということで以上となります。

次回のブログ記事では相馬中村城を簡単に紹介したいと思います。

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この記事を書いた人

▼水戸〜日立〜いわき〜仙台エリアまでの常磐線沿線都市での生活・ビジネス・まちづくりに役立つ情報・サービスを届けています
▼不動産・建築・都市計画
▼主な活動範囲:水戸〜いわき(相馬+仙台)
▶︎これまでの”都市づくり”の常識を覆し、わたし達が住む地域を住みやすさを世界1位にすることを目的に活動しています。 

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