【高萩市】旧水戸家家老の居城だった松岡城址。感想→有効活用すれば観光資源になる。

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茨城県高萩市の歴史的な観光地の一つである『松岡城址』について考えた事を勝手に整理しています。

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松岡城とは?

*松岡城の全景図

松岡城は、岩城領(福島県浜通り)の一部だったそうで、大塚氏という方が1,596年に岩城領折木(福島県広野町)に移るまでの間、戦国時代の山城として使われていたそうです。

その後、岩城と佐竹(茨城)は秋田に移ることになったため、戸沢家が1,602年に入った後、山城から近代の平山城として整備がなされます。その後、戸沢家は1,622年に新庄に移ったため、水戸藩領地となり、水戸藩家老の中山氏の居城となり、幕末まで水戸藩の支城として存続します。

筆頭家老の知行地だったようですが、中山氏は元々徳川家の家臣団で、武州(武蔵野)の出身で徳川一門の強化を図るために水戸家の藩祖である徳川頼房(徳川家康の十一男)に付いて現在の北茨城・高萩周辺を領地としたそうです。歴史ありますよね。

実際、城下町整備(武家屋敷)もされており、石畳と塀は立派です。見に来てただ帰るだけとなってしまうのはもったいない!!

*石畳で整備(一部、アスファルトで舗装)

推測:行政の担当者が変わって中折れ?

*武家屋敷通り(一部を除いて、門・塀が整備されている)

行政の宿命ですが、行政担当者の知識・能力がそれぞれ異なるため、担当者が異動すると全く活動されなくことがあります。まちづくりの宿命でもあるのですが、おそらくそうした事態がこの松岡城址でも起きたのかなーと思います(勝手な推察なので、違ったらすみません)。

特に人口規模の小さい市町村ですと、なおさら職員の個の力がダイレクトに行政運営に反映されます。全国的に見ても頑張っている市町村とそうではない市町村の差が生じているはこのためです。

わたしが在籍していた自治体も担当者のレベルによって推進力が異なるので、企画系であればなおさら、能力の差が地域の付加価値向上に直結しますね。能力の差をいかすのがチームなのですが、東日本大震災やコロナ対策など、別業務に追われてしまいチームとしても継続するのが難しいかったのかもですね。

綺麗にハード面は整備されているので、あとはソフト的にどうできるかだと思うんですよね。ハード面としては、一部で石畳をアスファルトにて補修しちゃってるものの、塀も門構えが整っているので街並みが美しく見えます。

お城跡は、ほぼ竹藪になってしまっているので、本丸まで登ってみよう!とは気が起きないですが、規模からして観光地になり得るのでは?と思うところ。

都市計画上は無指定(非線引き)

*松岡城の一部は公園として整備されている

無指定とは、市街化を抑制する市街化調整区域とは異なり、特に都市計画・建築基準法上の制限は無い地域となります。高萩市の場合には、市街化区域と市街化調整区域とを分ける”区域区分”を指定していないため、松岡城があったエリアは特段の都市計画上の指定がないため、比較的建築の自由度は高いです。

*左手は公園、右手は松岡小学校(三の丸跡)

ですので、農地法等の別法に基づく制限が無い限りは容積率200%、建蔽率60%の範囲内で観光地には必要な物販店や飲食店の建築が可能となります。

とはいえ課題としては、主要駅がある高萩駅からは約3.5kmほど離れているため、徒歩では厳しいと言わざるを得ないため、少なくともシェアサイクルやカーシェアが必要な状況にあると思われます。

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この記事を書いた人

▼水戸〜日立〜いわき〜仙台エリアまでの常磐線沿線都市での生活・ビジネス・まちづくりに役立つ情報・サービスを届けています
▼不動産・建築・都市計画
▼主な活動範囲:水戸〜いわき(相馬+仙台)
▶︎これまでの”都市づくり”の常識を覆し、わたし達が住む地域を住みやすさを世界1位にすることを目的に活動しています。 

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