福島県内でお城見学といえば、会津の鶴ヶ城か白河小峰城のどちらかがよく挙げられます。
もちろん、二本松城の櫓も見所がありますが、三層以上の櫓は現存していないため、より大きな規模のお城を見学する場合、鶴ヶ城か小峰城の2択になると考えられます。
県内の他の地域に目を向けると、櫓だけでなく、石垣や堀などの遺構が残っている城跡があります。棚倉町の棚倉城や、相馬市の相馬中村城などが国や県の史跡として指定されていますが、いずれも櫓の復元は行われていないのが現状です。*磐城平城本丸は市指定(令和4年指定)
しかし、一部のお城では、櫓の復元が試みられています。その一つが白河小峰城です。木造の3層3階の櫓が復元されており、その結果、城好きや木造建築好きの方には興味が惹かれる文化財になっています。
では、この白河小峰城の復元はどのように行われたのか?
その背後には、日本の建築基準法という重要な法律が関与しています。次のセクションでは、この建築基準法がどのように白河小峰城の復元に関与しているのかを探っていきます。
白河小峰城は工作物として復元?
インターネット等で調べてみると、城の復元に関して「工作物」という文言がいくつか見受けられます。これはどういう意味なのか。
城の復元は、基本的には現存する建築構造等を示す資料に基づき忠実に再現することが求められます。それができれば、文化財として認められることで建築基準法の適用除外となり、建築基準法のさまざまな制限を受けずに建築が可能となります。*仮に制限を受けると忠実再現不可。
近年では平成16年に復元した大洲城(高さ19m)があります。再現にあたっての記録がネットで公開されているので読んでみると、相当な年月と文化庁をはじめとする関係各所との協議、構造的な要素での再現方法など苦慮したようです。
この他の例を挙げると、宮城県の白石城では、建築基準法の一部を適用除外にするための国土交通大臣認定(旧法第38条認定)を取得しています。また、建物が低層(13m以下。現在は改正され16m以下)で非立ち入りの場合、立ち入りを前提としない倉庫等で再現する方法(役所時代の機密情報なので城名は伏せます)もあります。
さらに、鶴ヶ城のように博物館として鉄筋コンクリート造で再現しているところもあります。
このように踏めえると、建築基準法上の「工作物」として復元する場合、常時人の立ち入りを想定していないので、防火避難設備等の設置が必要ないため、採光・換気・排煙など、城の復元を難しくする要素を気にする必要がありません。これは再現を容易にする大きなメリットといえます。
城や城門は、建築基準法第88条第1項、そしてそれに続く建築基準法施行令第138条第1項第三号または四号の「塔」に該当すると考えられます。これらの法令の用途等と最も近いのは「物見塔」や「記念塔」では思われるところです。その名のとおり、城の一部としての役割を果たすと同時に、現代では物見や記念という使い道があるといえます。
(工作物の指定)
建築基準法施行令第138条第1項
第138条 煙突、広告塔、高架水槽、擁壁その他これらに類する工作物で法第88条第一項の規定により政令で指定するものは、次に掲げるもの(鉄道及び軌道の線路敷地内の運転保安に関するものその他他の法令の規定により法及びこれに基づく命令の規定による規制と同等の規制を受けるものとして国土交通大臣が指定するものを除く。)とする。
一〜二 (略)
三 高さが4mを超える広告塔、広告板、装飾塔、記念塔その他これらに類するもの
四 高さが8mを超える高架水槽、サイロ、物見塔その他これらに類するもの
五 (略)
ただし、工作物として再現しようとすると問題が出てきます。
もし建物の内部を本来の物見櫓ではなく内部構造を見学させるようになると、「博物館」の用途と解釈される可能性があります。その場合、建築基準法では防火避難の観点からさまざまな基準が適用され、忠実な再現が難しくなります。そのため、小峰城でも人の立ち入りを許可するべきかどうかについては議論があったようです。
一方で、資料等が残っており忠実な再現ができ文化財として認定されると、建築基準法は適用除外となります(ただし、防火上の安全対策は必要。文化庁のガイドラインに遵守)。法律的な違いはあるものの、一般の利用者から見れば、これら二つの間に大きな違いはないと感じられます。
建設当初の外観及び内部構造の資料が残っていなければ、木造の建物を再現することは困難ですし、文化財として認定される可能性も著しく低くなります。その結果、昭和に増えたのが、鉄筋コンクリート造の偽物天守であり、博物館としての価値はあるものの、建造物自体には文化的な価値がないと言わざるを得ません。
そのため再現しない方が良いという意見もあります。
以上から、平成初期には3階以下かつ13m以下の木造櫓や城門が再現されていったのではと考えられます。
ところが、このような手法をとらずにも、城の再現が可能な基準の改正が令和2年に行われました。
令和2年に文化庁の復元基準が改正し、再現しやすくなった
令和2年4月に、「史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準」が制定され、再現方法に「復元的整備」が追加されました。これにより、外観のみで構造等の詳細な資料が現存しない場合等でも、多角的な検証を通じて文化財としての再現が可能となりました。
II.復元的整備
史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準(令和2年4月17日 文化審議会文化財分科会決定)
1.定義
今は失われて原位置に存在しないが、史跡等の保存活用計画又は整備基本計画におい て当該史跡等の本質的価値を構成する要素として特定された歴史時代の建築物その他の工作物を遺跡の直上に次のいずれかにより再現する行為を「歴史的建造物の復元的整備」 という。
ア.史跡等の本質的価値の理解促進など、史跡等の利活用の観点等から、規模、材料、 内部・外部の意匠・構造等の一部を変更して再現することで、史跡等全体の保存及び活用を推進する行為
イ.往時の歴史的建造物の規模、材料、内部・外部の意匠・構造等の一部について、学術的な調査を尽くしても史資料が十分に揃わない場合に、それらを多角的に検証して再現することで、史跡等全体の保存及び活用を推進する行為
この基準改正を考慮に入れると、小峰城の再現はこの新基準に基づいて可能であると言えると思います。
遡及適用が可能なら、それは文化財として認識される可能性があります。したがって、小峰城だけでなく、史跡の保存と活用を推進する観点から、例えば、磐城平城や棚倉城のように現在史跡として指定されており、かつ櫓図などが残っている場合は、それらも文化財として再現可能であるかもしれません。
ちなみに磐城平城の3階櫓(2層3階)は、いわき市の資料によると高さが4丈3尺(約13m)だったようです。白河小峰城の櫓の高さが約14mですので、ほぼ同程度の高さといえます。マンションに例えると4階建てに相当する高さとなります。
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白河小峰城の木造建築としての魅力
小峰城の三重櫓は、本丸の北東隅に建つ三層三階となっており、高さは約14m(装飾品である鯱鉾を入れると約15m)、広さは1階が12m四方、2階が4m四方となっています。外観は、黒塗りの板を張った「下見板張」で壁を保護しています。
- 建築物の高さ:約14m
- 延べ面積:約160〜170㎡前後
- 階数:3
それでは以上となります。
白河小峰城は文化財・木造建築を勉強する上でとても価値があると思いますのでぜひ足を運んでみてくださいませ。
白河市では清水門の復元プロジェクトが進めているようなので今後の進展にも期待です!!
>>>復元歩プロジェクトはこちら