【いわき市】人柱って本当?磐城平城丹後沢の伝説について建築士が思うところ。

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丹後沢公園の人柱伝説とは?

丹後沢公園とは、いわき駅の北側、磐城平城のお堀跡。現在は公園として整備されているところです。磐城平城の築城は1603年で、そこから12年の歳月を費やして1615年に竣工しています。竣工までの道のりとして12年は非常に長く、お堀の整備に苦労したようです。

そのような状況で考え出されたのが人柱です。「丹後沢」の名前の由来は、磐城平城の内堀の築造中、大雨の度に堰が崩れてしまうため、菅波村(現平菅波地区)の箱崎丹後守義明という家臣(高齢)が人柱になり、これを完成することができたことから、その功績が称えられて付けられたものとされています。

どうもですね〜当時の磐城平藩主に人柱を行うべきと進言したのは陰陽師(現代の占い師)だったようです。実際、人柱によってお掘が完成したと伝わっていることを踏まえると、嘘とは言い切れないのかなと思います。

ところがです。土木技術的にみれば人柱なんてものは全く効果はありません。当然、人柱は木材よりも朽ちやすいですからね・・・。現代も一部で利用されていますが、水に強いには「松材」です。当時から松を使って杭とするのが一般的です。特に地下水位が高いなどの地盤状態が悪いときに使います。

となるとですよ、生け贄として丹後さんが使われているところが不思議ですよね。

当時、占いが信じられていたとは言え、土木技術者が指揮して築城していたのは間違いない事実だと思いますので、その現実主義者である技術者が占いを信じると思いますか。わたしも技術者ですが、きっと信じることはなく、技術的に解決しようと試みるはず・・・です。

その上、人柱設置以後、崩れなかったとする事実も変ですよね。丹後沢という名前まで残っているのに、その後、必ず大雨で被害を受けただろう明確な記録として残っていない。江戸時代は260年も続いたんですよ・・・不思議です。

仮に事実だとすれば、伝記として残すことに何かしらの意味があったということ。それ以外に考えが及びません。当時の伝記が口頭により受け継いだとすれば、多少誇張されている可能性もありますよね。


それでは以上です。ちょっと疑問に思ったことをブログにしてみました。笑

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この記事を書いた人

▼水戸〜日立〜いわき〜仙台エリアまでの常磐線沿線都市での生活・ビジネス・まちづくりに役立つ情報・サービスを届けています
▼不動産・建築・都市計画
▼主な活動範囲:水戸〜いわき(相馬+仙台)
▶︎これまでの”都市づくり”の常識を覆し、わたし達が住む地域を住みやすさを世界1位にすることを目的に活動しています。 

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